他人の人生を歩むな
- 篤志 天野
- 2022年9月17日
- 読了時間: 5分
更新日:2022年10月30日

他人の人生を歩むな
今の自分が、
胸を張って自分の人生を生きていると
胸を張って言えるだろうか?
人生は間違いなく他人のものではなく
自分自身のものである
人はこの世に生を受け、
生きていく上でさまざまな選択と決断を迫られる
その1つひとつの選択に、
自らの考えや価値観を持って意思決定をしていくことで、
自分の人生を生きているという感覚を感じることができる
しかし、
私たちは実のところ、
自分の人生をしっかりと生きているのだろうか?
生きる上で起きる出来事の一つひとつに、
自分で考え、選択し、決断し、行動していく
自由が一人ひとりに与えられている
だが、私は自分の人生としっかり向き合っているのだろうかと、
ふと疑問が浮かんだ
好きなこと、
得意なこと、
楽しいこと、
苦手なこと、
つらいこと、
嫌なこと
人生では信じられないないことから思いがけないことまで、
実にさまざまなことが起きる
それによって感じることも一人ひとりまったく異なる
他人が嫌だと感じることでも、
自分には幸せに感じるかもしれない
逆に、自分が絶対にやりたくないことが、
他人にとっては死んでもやってみたいことだったりするかもしれない
何か出来事が起こったとき、
自分は
「どう感じるのか」
「何を思うのか」
「どう行動するのか」
を的確に予測できる人なんて誰一人としていない
そして、
自分のことを本当に理解し、
本当の意味で自分を知っている人は、
私を含めほとんどいないのではないかと思っている
さらにいえば、
自分の人生と向き合う時間を
きちんと取っている人もほとんどいないのではないか
人は誰しも自分の人生と真剣に向き合ってはいないし、
自分のことをきちんと理解していると思い込んでいる割には、
実はまったくといっていいほど理解していない
一応述べておくが、
これはあくまで私の意見であり、
「絶対にそうだ」と押しつける気はない。
自分よりも他人を理解しようとする
人は
「自分の好きなこと」「得意なこと」「長所」「短所」などを書いてください
と言われれば、
あたかも「自分のことは自分が一番よくわかっている」
といった顔で、
他人受けするもっとも
自分に適した回答を紙面に書き込んでいくだろう
しかし、
私たちが本当に理解しようとしているのは、
過剰な承認欲求に突き動かされている「自分」ではなく、
その承認欲求を満たしてくれる「他人」のことである
世間体、周りの目、他人の言動。
私たちは自分の人生とは向き合わずに、
他人の人生に過剰に干渉し、
他人の行動に注目し、
他人を理解することに時間を使う
あるいは、他人を自分の思い通りにしたいがために、
他人のことを深く知ろうとする
だが、
他人のことなど自分のこと以上に理解しづらく、
理解していると思っていても、
それは「自分はこの人のことを理解している」
と思い込んでいるだけに過ぎない
その多くはただの自己満足であり、
思い違いであり、思い上がりに過ぎない
人は自分のことを深く知ろうとはせず、
誰もわからない
他人のことを誰よりも理解しようとする
自分の人生を生きようとはするものの、
他人の人生を生きてしまっているのだ
「この人はこれが好き」
「あの人はこういうことを言うと怒る」
「あいつはそういう性格だからね」
これらはほとんどの場合、
自分の大きな勘違いであり、
思い込みであり、決め付けである
そして、他人のことを理解しようとすればするほど、
自分の人生を生きることからは遠ざかっていき、
自分の幸せや価値観といったものが
他人によって形成されていくことになる
つまり、他人の人生を生きることになってしまうのだ
そうなると、
日常生活の喜怒哀楽が他人なしでは感じることができなくなり、
何をするにしても、
どこに行くにしても、
他人がいなければ楽しみも見出せず、
すべての出来事が無価値になってしまう
アドラー心理学で有名な
「嫌われる勇気」という本の中にも、
「他人はあなたの期待を満たすために存在しているのではない」
「他人はあなたの思い通りにはならない」
という言葉がある
他人は決してあなたのために存在しているわけではなく、
他人もただ自分のために存在しているのだ
自分の人生を生きるとは、
すべての物事を自分で選び、選択し、決断し、行動することである
そこには他人の存在が介入することがあってはならない
たしかに、
時には誰かにアドバイスをもらいたいと思うときがあるかもしれない
だが、基本的には
「自分のことはすべて自分で決める」ことが、
後悔と言い訳の少ない人生を歩むために必要なことである
他人のことが気になってしまうのは、
自分のことをよく知らないからだ
そして、
他人のことをよく知っていると思い込んでいるからこそ、
他人の人生を生きてしまうことになる
自分の人生を生きるためにするべきことは、
しっかりと自分と向き合い、自分を知ることである
「汝自身を知れ」という古代の格言のとおりだ
そして、自分なりの幸せや価値観といったものをきちんと定義し、
それに沿った生き方をしていかなければならない
古代ローマ時代の政治家・哲学者・思想家であった
ストア派のセネカはこう述べている
「人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ」
人生には、他人の人生に干渉している時間はない
自分の人生に集中し、
「今」を生きることが求められているのではないだろうか



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